「循環」を無理なく利用する

水の利用は案外奥が深い。私たちが普段使っている水はどこからやってきているのか?今回紹介するのは人間と水がどのように付き合ってきたかを教えてくれる一冊だ。人間は淡水しか利用できない。農業を始めた人類はそれぞれの場所でそれぞれのやり方でなんとか水のやりくりをしてきた。

「持続可能な社会」という言葉ばかりが上滑りしている。だが、人間は長らく「持続可能」なやり方で水と付き合ってきたのだ。そうせざるを得なかったというのが正しい。もちろんそれは危ういバランスの上で一時的に成り立っていたに過ぎないが、「持続可能な社会」へのヒントぐらいは見つかるかもしれない。

水とのつき合い

アフリカ・メソポタミア・古代ローマ・インド・アジア・メソアメリカ・ヨーロッパと、本書では世界中を飛び回る。それぞれの場所でどのような条件があり、どんな工夫をし、どんな危機が訪れたかが具体的に語られていく。切実で誤魔化しがきかないだけに、そこにはリアルな面白さがある。

水の重要な特徴は「循環」していることである。「循環」を生みだすのは基本的に太陽エネルギーによる蒸発と重力だ。蒸発した水は雨となり淡水として降り注ぐ。そうして絶えず供給されている量の限りにおいては水は無限に利用できる。ただしその供給される水の量は場所によって違いがある。

水は御しがたい怪物だ。流れが速いと水路は破壊され、遅いとシルト(沈泥)が水路を塞ぐ。水路の傾きは慎重に選択され、厳密に作り上げられた。それでも絶え間ない修復と整備は不可欠だった。ときには容赦ない洪水が破壊をもたらした。

巨大なスケールでの水の利用は莫大な余剰生産物を生んだが、その分維持管理にも莫大な労力が必要だった。そのため社会が不安定になり維持管理が難しくなると、すぐにシステムは崩壊した。

不安定なのは社会だけではない。水の供給量そのものも長期的に見れば大きく変化する。ある時点で安定していたシステムもあっけなく崩壊した。巨大なシステム程柔軟性に乏しかったし、その崩壊の影響は悲劇的だった。

また短期的な視点での限界を超えた利用は、遅かれ早かれそのツケを払わされることになった。無理な灌漑は地下から塩分を引き上げ、塩害を引き起こした。

現在は技術が発展し、地下水をポンプでくみ上げることで供給量以上の水を利用することができるようになった。だがこれは「持続可能性」という視点から見ると「禁じ手」なのは明らかだ。

「循環」するお金

人間が生み出した「循環」するものがある。お金だ。その意味で水とお金はよく似ている

「循環」を生み出すのは、水の蒸発にあたる「生産」と重力にあたる「価値観」だ。ただし不変の現象である蒸発と重力に対して、「生産」と「価値観」は大きく変化するため、お金の「循環」はより複雑である。

お金は御しがたい怪物だ。現代はお金の流れが速いため、水路に当たる企業の新陳代謝も激しい。システムは巨大で莫大な利益を生むが、ときにおこる洪水は悲劇的だ。

長らく有効で今も続く「価値観」は経済成長だ。あらゆる活動が経済活動に置き換えられていく。コネで成り立っていた労働市場に「平等性」というエキスを一滴たらすことで巨大な人材業界が生まれた。またあらゆる時間が経済活動に組み込まれていく。ちょっとした暇も今や溢れ返る情報やSNS、YouTubeによって塗りつぶされる。そこには広告があり、消費を促す経済活動の一部だ。

が、それもいつか限界が来る。地下水と同じく時間も有限だ。既に情報は溢れているし、YouTubeには見きれないほどの動画がアップされている。長らく有効だった「価値観」も修正を迫られるだろう。そのためのブレーキが壊れていないことを祈るばかりである。

「持続可能性」と「循環」

「持続可能な社会」の議論に「循環」の視点は欠かせないと思う。

僕は経済学をちゃんと勉強したことがないが、いかに「循環」を無理なく利用するかに迫る経済学があれば勉強してみたい。この記事を読んでいただいた方でお詳しい方は是非教えていただければ嬉しいです。

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